カテゴリー: コラム

【令和7年度第1回 鎌倉支部研修会のご報告】

日 時:令和7年9月5日(金) 13時30分~17時

会 場:逗子市交流センター

講 師:平塚支部 山本毅会員

出席者:31名(うち他支部9名)

 

今年度第1回目の研修会では、平塚支部の山本毅会員を迎え、『建設業許可基礎の基礎(法令改正点を踏まえながら)~建設業許可事例検討』と題して講義を行いました。

講義前半では、神奈川県行政書士会の「研修テキスト(建設業許可・新規)」、「研修テキスト(建設業許可・決算変更届)」をもとに、建設業の基本的な考え方から申請書の作成方法、許可後の決算変更届までの流れなどの話があり、初心者でも非常にわかりやすい講義でした。

また、講義の中では、テキストや県の手引きなどに載っていない実務上のコツなども満載で、「そこが聞きたかった。」と思うような話も多くありました。

 

講義後半では、3件の事例を題材にして、グループごとに事例検討を行いました。事業者から聞き取った内容をもとに、許可申請をするために確認・提案するべきことを各グループで検討し発表するというものです。

初心者ばかりのグループ、ベテランが多いグループなど様々でしたが、同じ設問に対して発表内容はグループによりまったく異なることが多く、発表を聞くたび衝撃を受けつつも、楽しく学ぶことができました。

山本会員からは、どのグループの発表に対してもひとつひとつアドバイスや考え方を伝えたうえで、許可申請が不可能だと思われた事例でも、考え方、やり方次第で可能になることもあると実例を示しながらの説明がありました。

3時間半にも及ぶ講義でしたが、それでも足りないほどの充実した内容で、非常に有意義な時間となりました。

 

研修会後には、講師の山本会員を交えての懇親会が行われました。研修会に引き続き、他支部の方も参加いただき、大いに盛り上がる交流の場となりました。

当日は、会場付近では近年まれにみる大雨で、交通機関は止まり、一部冠水している地域もありましたが、研修会終了後にはなんとか交通機関も再開し、全員が無事帰宅することができました。

魲 久美

 

「石橋を叩けば渡れない」

「石橋を叩いて渡る」という諺が有ります。「堅固な石橋を叩いて、堅固さを確かめてから渡る。用心の上にも用心するたとえ。」と広辞苑に書かれています。広辞苑の記述を見る限りでは、石橋を叩いて渡る行為にマイナスの評価は無さそうですが、「石橋を叩けば渡れない」という題名の本を書かれた西堀栄三郎(にしぼりえいざぶろう)博士によれば、「石橋を叩いていたら橋は渡れないよ!」と言われてしまい、評価されない行為になります。

 

「石橋を叩けば渡れない」という題名の本で、西堀博士の言わんとするところは、完璧に準備を整えてから行動を開始するなどということは不可能だから、或る程度の準備が出来たら、先ずは行動を開始して、その後発生する問題には臨機応変に対処して物事を進めようということです。

つまり、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という諺に近い行為になりますが、ただ闇雲に虎穴に入れば親虎に食い殺されてしまいますから、予想される危険については事前に準備を尽くした上で取り掛かろう、という事ではあります。「猪突猛進」を勧めている訳ではありません。目的は虎児を得ることですから、場合によっては虎穴に入らないで済む方法も有るかもしれません。これが臨機応変です。

 

世の中には、出来ない理由を縷々述べて行動に移さない人が一定数います。だれが聞いても納得できる理由がある場合も有りますが、中にはやりたくないからただ単に出来ない理由を尤もらしく言っていると感じる場合も有ります。個人的な印象ではありますが、人の評価を減点法で行う組織には、このような態度が多いと感じます。出来なかったときに、責任を負わされたくないという気持ちをヒシヒシと感じます。

 

姿勢として大切なことは、出来ない理由を探して何もしないことでは無く、良いと思ったことはやると決めて、どうすればそれが出来るようになるのか考えるという事だと思います。

西堀博士の本を読んで以来、私の行動は多少変わったようです。変わったと断定できないのは、常にそのようにはなっていないのかなという事を感じるからです。

 

私が、資格を取得してサラリーマン生活を切り上げて、後は元気が続く限り仕事をしようと思い立ち、60歳前に退職しました。実は、この時まだ何の資格も取得出来ていなくて、その後勉強をして紆余曲折の末に、60代半ばで行政書士事務所を開業しました。

石橋を叩いていたら、定年までサラリーマン生活を送っていたと思いますが、石橋を叩かずに早期退職してしまいました。どちらの人生が正解だったのかはまだ結論は出せていません。金銭面のことだけを考えると早期退職は赤字決算のように思えますが、生活の充実度等を考えると今の生活の方が圧倒的に黒字決算ではないかと思っています。

 

「これは良いよね。」と思ったら実行を決意しましょう。その後で実行方法を考えましょう。勿論実行できないという結論になることが多いと思いますが、このようにすると、人生かなり変わると思います。

 

それから、西堀博士の著書「石橋を叩けば渡れない」を是非読んでいただくことを勧めます。初版は1999年の本ですが、今も第2版が発行されていて、長く読み続けられています。非常に素晴らしい内容で、今でも色あせない内容です。巻末に元東海大学教授の唐津 一さんの文章が載っていて、この中で西堀博士のエピソードが紹介されていますが、そのスーパーマンぶりに吃驚するでしょう。

川田順一

 

【西堀栄三郎博士略歴】

明治36年       京都市に生まれる

昭和3年        京都帝国大学理学部卒業

昭和11年       京都帝国大学理学部助教授・理学博士

昭和11年       東京電気(現東芝)に入社、真空管の研究に従事

昭和18年       技術院賞受賞

昭和29年       デミング賞受賞

昭和32年       第l次南極越冬隊長として南極で越冬

昭和33年       日本原子力研究所理事

昭和40年       日本原子力船開発事業団理事

昭和47年       日本生産性本部理事

昭和48年       勲三等旭日中綬賞受賞

昭和48年       ヤルン・カン遠征隊長

昭和53年       ゴルカ・ダク・シン・バフー勲二等受賞

昭和55年       チョモランマ登山総隊長

昭和57年       日本工業技術振興協会会長

平成元年       没

鎌倉支部の活動

今期より鎌倉支部長の大役を仰せつかった西脇裕子です。今回は行事のない月にあたりましたので、この機会に年間を通した支部の活動について書きたいと思います。鎌倉支部は前々支部長就任時から委員会制を取り入れて業務分掌することになりました。以下、3つの委員会の主な仕事内容を説明します。

◆広報委員会(2名):支部ホームページの管理、希望会員による「(有料)会員情報」の募集・制作・HP掲載、会報誌への記事入稿、街頭無料相談会等の広告出稿等

◆研修委員会(4名):研修会および懇親会の企画・運営(今年度は3回開催予定)

◆相談委員会(5名):行政(鎌倉市・逗子市・葉山町)月例無料相談会の運営、広報月間の街頭無料相談会の企画・運営(年1回、鎌倉市と逗子市で開催)、相談員募集とガイダンス等

支部長と副支部長はそれぞれ各委員会を担当し、委員長を助け、実際の運営にも携わっています。

このほか支部全体にかかる事務(主に会員名簿とメーリングリストの管理)を担う事務局(1名)を置いています。

また、年に1回か2回、会員向けレクリエーションと勉強会を行っており、これは基本的に支部長マターですが、今年は積極的に手を挙げてくれた幹事がいるので私は少しラクが出来そうです。

その他、総会後や研修会後の懇親会、忘年会(又は新年会)では、役員が中心となって、ベリーダンス、タップダンス、フラダンス、ライブ演奏、マジック、コント、漫才等々のパフォーマンスを披露することが慣例となっています。私も数年にわたり演者として芸を磨いてまいりました。支部長になったらお役御免と言いたいところですが、当支部では支部長自ら率先して芸をするのが特徴の一つなので、これからも芸の道に精進していきたいと思います。

最後に令和7年度鎌倉支部の幹部として支部会員のために働く仲間を紹介します。

 

 

 

 

 

これからも、頼もしい仲間と共に相模湾の波頭のようにキラリと光る鎌倉支部のために、務めてまいります。

(西脇裕子)

小さな習慣、大きな可能性

「失われた30年」・・・経済成長のない30年間を指すこの言葉ですが、では39歳になる私は、ちゃんと成長してきただろうか。社会人になってから約20年、結婚し、子供にも恵まれ、なんとなく日々を過ごす中で、「忙しい」を言い訳に楽しいこと、楽なことばかりを選んで、成長することから目を逸らしてきたのではないだろうか。そう、私にとっては、まさに「失われた20年」だったかもしれません。

私は昨年、行政書士の資格を取得しました。決して大きな出来事ではないかもしれません。私には当時小学生と、生まれたばかりの子がいました。家事育児と仕事の合間を縫って勉強し、何度も挫折しそうになりながら、机に向かい続けた日々。そんな小さな「継続」が、気がつけば人生を変えるきっかけになりました。今、行政書士として歩み始めた1年を振り返りながら、改めて感じることがあります。社会が悪い、時代が悪いと嘆くより、自分自身が成長し未来を掴みに行く方が、よほど早く確実に人生は変わるのだと。

 挫折との戦い、そして小さな変化

行政書士を目指したきっかけは、正直に言えば現状への漠然とした不安でした。このままで良いのだろうか、子供たちのやりたいことを応援してあげられるのだろうか。会社員として定年を迎えた後はどう過ごすのか。もっと自分にできることがあるのではないか。そんな思いが募る中、行政書士という法律の専門家として人の役に立てる仕事があることを知りました。

しかし、始めてみると想像以上の困難が待っていました。まず、学生の頃もそうですが、勉強の習慣がないのです(笑)。朝4時に起きて勉強し、仕事が終わってからも机に向かう。子どもが寝静まった夜中、0歳児を抱っこ紐で抱っこしながら法律の条文と格闘する日々。家族との時間も削り、趣味のウインドサーフィンも控える生活が続きました。特に辛かったのは、なかなか成果が見えない時期です。「本当に合格できるのか」「こんなに頑張る意味があるのか」と自問自答を繰り返しました。

それでも続けられたのは、家族の応援と小さな変化を感じ始めたからです。法律の知識が身につくにつれ、日常の出来事を違った角度から見ることができるようになりました。ニュースの背景が理解できるようになり、社会の仕組みへの理解が深まる。この小さな成長の実感が、私を支えてくれました。

継続が開いた新しい世界

合格から1年が経った今、あの時の行動が確実に人生を変えたと実感しています。行政書士として開業し、相続手続きや住宅宿泊事業の届出等のお手伝いをさせていただく中で、多くの方の人生の転機に立ち会わせていただいています。そして何より、先輩方からいただく温かいご指導や助言が、新人の私にとってかけがえのない財産となっています。実務を通じて、行政書士という職業の奥深さと責任の重さを日々学ばせていただいています。

先日、お父様を亡くされたご家族の相続手続きでお世話になった時のことです。「父は生前、家族のことばかり心配していました。でも先生のおかげで、きちんと整理ができて、父も安心していると思います」そう涙ながらに話されるお母様の言葉に、この仕事の意味を深く感じました。また、民泊を始めたいという若い起業家の方が「地域を元気にしたい」と熱く語る姿に触れ、自分も新しいことに挑戦し続けていこうという気持ちが強くなりました。

この「継続する力」は他の分野でも活かされ、趣味のスポーツや健康管理においても着実に成果を積み重ねる方法が身についています。継続は、一つの分野で身につけると、人生のあらゆる場面で武器になることを実感しています。

行政書士として、そして一人の人間として

新人行政書士として日々感じるのは、諸先輩方の経験に学びながら、自分自身も学び成長し続けることの重要性です。法律や業務だけではありません。父親としても非常に重要な要素です。子育ては、まさに継続の連続です。毎日の声かけ、一緒に過ごす時間、子どもの話に耳を傾けること。どれも小さなことですが、その積み重ねが子どもの成長につながっていき、ひいては自分自身の成長にもつながります。

資格取得に向けて努力する私の姿を見て、子どもが「お父さんみたいに頑張る」と言ってくれた時、努力する、継続することの本当の価値を感じました。それは単に自分のためだけではなく、周りの人にも良い影響を与えるものなのだと。自分が変わることで、家族も変わり、そしてそれが少しずつ社会にも広がっていくのかもしれません。

今日から始められる小さな一歩

「失われた30年」という言葉に惑わされることなく、私たちには今からでも人生を変える力があります。あの分厚いテキストや肢別本を初めて手に取った時、何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。でも、時が経つにつれ理解できるようになる。それは継続という、誰もが持っている武器を使うことです。

行政書士を志したとき、そして行政書士として歩み始めたこの1年間で、私は確信しました。時代の不運を嘆いている時間があるなら、小さくても良いから、まず何かを始める。そしてそれを継続して必ず達成する。社会が豊かになるのを待つのではなく、自分自身が成長し未来を掴みに行く。その姿勢こそが、個人の人生を変え、ひいては社会を変える原動力になるのだと思います。

皆さまにとっての「小さな一歩」は何でしょうか。新しい資格への挑戦、健康のための運動習慣、家族との時間を大切にすること。どんなに小さくても構いません。大切なのは、今日から始めることです。きっとそれが、思いもよらない未来への扉を開いてくれるはずです。

中尾幸樹

令和7年度 鎌倉支部定時総会・政治連盟定時大会開催

令和7年5月14日、鎌倉市大船の鎌倉芸術館にて、鎌倉支部定時総会と、政治連盟鎌倉支部定時大会が開催されました。

当日、私は、いつもより30分早めにJR大船駅に到着し、5月の清々しい天気の中、街の様子を眺めつつゆっくりと歩き、鎌倉芸術館に到着しました。

会場の集会室の近くまで行くと、役員の声が、エントランスまで聞こえてきましたが、中に入るには、まだ早いかなと思い、エントランスのベンチに座って休憩をしていました。2,3人が出入りする中で、役員の一人からお声掛け頂き、最後列よりすこし前辺りに座り、時間が来るまで会場内の数人と会話をしました。

そして、鎌倉支部定時総会は15時に開会。司会から、定時総会が定足数を満たしているので有効に成立している旨の報告があり、司会者が議長に関和範会員を指名し、満場一致で選任されました。スムーズな議事進行により全ての議案が可決承認されました。

今年度は支部長改選の年であり任期を終えた町田支部長から新たに西脇新支部長へと体制が変わり、役員も大幅にリフレッシュしました。そんな新体制の人事の中で、私も副支部長のお役目を担うことになりました。西脇支部長の下、この2年間、鎌倉支部のために頑張らなければと、身が引き締まる気持ちでした。

引き続き16時過ぎより政治連盟鎌倉支部定時大会が行われました。司会から、定時大会も定足数を満たし有効に成立している旨の報告がされました。司会者が議長に関和範会員を指名し、満場一致で承認されました。すべての議案が可決承認され、定時大会も無事閉会しました。

鎌倉支部に移転して、2年、少しずつお話が出来る方々が増えて、その後行われた懇親会でも多くの会員と懇親を深めることが出来ました。懇親会場を眺めて様子をうかがうと大先輩から若手の会員まで、分け隔てなく美味しい料理とお酒を楽しんでおられました。

今後2年間、西脇支部長を支え、鎌倉支部を盛り上げていけるように支部の運営を楽しんでいきたいと思います。

(蒲谷渉)

善意の第三者に対抗することができない?

突然ですが、「善意の第三者」という言葉を聞いて、みなさんはどのような人物を思い浮かべますか。それも、ただの善意の第三者ではありません。「善意の第三者に対抗することができない」と言われるほどの人です。誰も対抗できない善意の第三者。誰も敵わない立派な人、聖人君子。そのあたりでしょうか。このような人物になるには、相当な努力が必要ですね。ところが法律の世界では、とある条件さえ備えれば誰でも、しかも簡単にこの「善意の第三者」になれるのです。

はじめまして。このたび当欄の執筆を担当することになりました、塚越大介と申します。昨年の3月に開業し、葉山町で小さな事務所を構えております。

さて、われわれ行政書士は法律を専門分野としております。専門分野にはその世界でしか通じない専門用語がありますが、ご多分に漏れず、行政書士が属するこの法律界にもそのようなものが数多くあります。その筆頭格が、冒頭に掲げた「善意の第三者」ではないかと、私は個人的に思っています。そこで今回は、この「善意の第三者」という専門用語を紹介してみようと思います。そして、これを通じて一般の方々が少しでも法律に興味を持っていただければ幸いに思います。

私がこの「善意の第三者」という用語に出会ったのは大学の法学部に入学したときでした。その一般的な意味との違いを知ったときには、法律学の深淵さに身が引き締まる思いがした、などということは一切なく、何やら不思議な世界に足を踏み入れてしまったようで、少し後悔したことを今でも覚えています。

この用語の法律上の意味を知るために、いったいどのような場面で「善意の第三者」が登場するのか、具体例を挙げながらご説明いたしましょう。

Aという人がいました。このAさん、借金をしたのですが、その返済が難しくなってしまいました。このままだと自分の唯一の財産である土地を差し押さえられてしまうと心配していたところ、友人のBさんからこのように持ちかけられました。「その土地を私に売ったことにすれば、差し押さえられなくて済むよ。土地の名義を変えるだけの形式的な手続きにすぎない。土地の所有者はAさんのままだから、これまでどおり住み続けることができる。」

それだけのことで土地を手放さなくて済むならいいかと思い、Aさんは言われたとおり土地の名義をBさんに変更しました。

Aさんはすっかり安心して過ごしていたのですが、ある日、見ず知らずのCさんという人が現れ、こう言いました。「この土地をBさんから買いました。所有者は私なので、すぐに立ち退いてください。」晴天の霹靂とはまさにこのことです。驚いたAさんはこう反論します。「あれはただ名義をBに変えただけで、本当にBに売ったわけではないよ。だから持ち主は私のままだ。」しかし、Cさんは「そんなことは知らない。」と一切聞き入れてくれません。

さて、この事例の中に、くだんの「善意の第三者」が登場します。それはCさんです。Cさんは「第三者」であることは何となく想像がつくと思います。では、どこが「善意」なのでしょうか。聖人君子と思しきエピソードはひとつもありません。

ここが、法律の不思議なところです。法律上、「善意」というのは「善良な心」ということではなく、「本当のことを知らない」という意味なのです。つまり、こういうことです。Cさんは、Bさんが本当に所有者だと思って土地を買いました。AB間の企みを知らなかったわけです。この”知らなかった”という状態こそが、法律上の「善意」なのです。

実際に、民法という法律にこのような条文があります。

(虚偽表示)第94条

第1項 相手方と通じてなした虚偽の意思表示は、無効とする。

第2項 前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。

この条文も専門用語だらけで分かりにくいですね。ですが、最後のところで「善意の第三者」はしっかり登場しています。

そして、この条文は、まさに先ほどの事例のことを言っているのです。

分かりやすくするために、先ほどの事例に即した言葉に変えてみましょう。「意思表示」とありますが、これは「契約」に置き換えます。「意思表示」と「契約」は厳密には違うものなのですが、今ここでその説明をすると本題から逸れてしまうため、ここでは深入りせず先に進みます。

(ウソの契約)第94条

第1項 AがBと企んでしたウソの売買契約は無効である。だから、土地の所有者はBではなくAである。

第2項 前項ではAとBがした売買契約は無効であるとされている。しかし、Aは本当のことを知らないCには無効であると主張できない。だから、AはCに自分が所有者であるとは言えない。その結果、所有者はCということになる。

「善意の第三者に対抗することができない」というのは、「聖人君子には敵わない」という意味ではなく、「本当のことを知らない第三者には、自分の権利を主張できない」ということなのです。ですから、先ほどの事例でCさんはおそらく、このようにAさんに主張したことでしょう。「私は善意の第三者です。ですからこの土地の所有者は私です。」

自分で自分のことを善意の第三者だと言ってしまう。常識的に考えれば随分と厚かましいことですが、法律界では普通のことなのです。

いかがでしたでしょうか。このようなエピソードは他にいくらでもあるのですが、紙幅の関係で今回はここで終わりにします。

最後にもう一点、法律というものは非常に良くできています。先ほどのケースでは、何も知らずに真面目にお金を払って土地を買ったCさんは、民法の第94条第2項によって土地を無事に手に入れることができました。AさんとBさんはどうなるかというと、Aさんは結局土地を失う羽目になりました。Bさんの末路はさらに深刻です。Bさんは勝手にAさんの土地をCさんに売ったわけです。他人の物を勝手に第三者に売却するという行為は明らかに違法であり、横領罪などで有罪となる可能性があります。さらに、AさんとBさんは土地の名義を偽ったので、二人とも電磁的公正証書原本不実記録罪という罪に問われるおそれがあります。自業自得とはいえ、踏んだり蹴ったりです。

昨今では、いかにズル賢く生きるかが世の中を渡っていくための才覚であるかのように言われることもありますが、法律は決してそのような人のためにあるものではありません。むしろ、真面目に生きている人々の暮らしを守るためにあるものです。先のケースでも、善意で正当に土地を購入したCさんは、民法によって保護されました。一方で、AさんとBさんは、虚偽の名義変更や売買契約を通じて第三者を巻き込んだため、結果として土地を失い、場合によっては刑事責任を問われるおそれがあるという立場になりました。正直者が報われ、ズルをした者が痛い目を見る。法律の根本には、こうした筋が通っているのです。私が、ときに後悔し、ときに挫折しながらも法律の勉強を続けてこられたのは、法律の持つこのような性質に気がついたからです。

みなさんも機会があれば、法律の扉を開いてみてはいかがでしょうか。

塚越大介

令和6年度鎌倉支部第3回研修について 

令和7年2月28日、鎌倉市大船の鎌倉芸術館にて、令和6年度第3回鎌倉支部研修会を開催しました。

 

講師には、横浜中央支部の髙木亨先生を迎え、「家族信託〜行政書士として取り組む家族信託の実務〜」と題して講義していただきました。

家族信託は、行政書士にとって相続、遺言や成年後見とならんで関心が強いということもあり、鎌倉支部内外を問わず定員を上回る申込みがあり、大盛況でした。

講義は予定の2時間半では足りない勢いで、後半の質問コーナーでは基本書には無い実務レベルの深い質問が多く飛び出し、研修会ならではの成果が遂げられました。

 

研修会の後は、場所を大船駅近くの居酒屋に移し、懇親会を開催しました。

20名以上の支部内外からの参加者が有り、講師の髙木亨先生を囲んで更に家族信託や日頃の業務の談義に時間が許す限り盛り上がり、盛会のうちに終了しました。

今年度の研修会は最後となりますが、次年度の研修会もまた良いものとなりますように。

鈴木克尚

 

自分を誉めてやりたい

2024年4月登録の笹沼武志と申します。
数年前、自分のサラリーマン生活をフルマラソンに例えれば40km付近を懸命に駆けている時に、「はて?この先のフィニッシュラインを越えた先で何をしようか」と思案した結果、41kmあたりで「行政書士!」という結論にたどり着きました。

会社員時代は海外関係会社を作ったり、励ましたり、畳んだりする仕事をしていました。同僚、交渉相手、お客様、取引先、などさまざまな国の方々と日々お付き合いをし、助けてもらったおかげでなんとかサバイバルできました。当時は泣きたくなるような毎日だったはずなのですが、いまはなぜか楽しかったことや美味しかったことしか頭に残っていません。

42.195kmを完走し、今度は自分のホームグラウンドである日本にいる外国人をサポートし彼ら彼女らに、楽しい美味しい思い出が残るようにとの思いを胸に、幾多の苦難を乗り越え行政書士の開業までたどり着きました。
まったく「自分を誉めてやりたい」気分です。

新米行政書士として外国人の方からご相談・お問い合わせを受けることはまだまだ少ないですが、日本がよりよい「多文化共生社会」になるために少しでも寄与することを願いつつ活動しています。
年齢は重ねていますが気分は新人です。

余談ですが、「はまぎく」の花言葉は「逆境に立ち向かう」だそうです。
これを知っていたのかどうかわかりませんが、妻が名づけてくれました。
まだ、誉めてもらっていませんが(笑)。

 

笹沼 武志

はまぎく行政書士事務所

第2回支部研修会&忘年会

日 付:2024年12月13日(金)

時 間:16時~18時

参加人数:38人

場 所:二楽荘

 

鎌倉支部では、第二回支部研修として櫻井土地家屋調査士事務所より土地家屋調査士3名を講師に招き『建物の表示登記・測量 よくある質問Q&A』と題した研修会を開催しました。

研修前半は、建物についての表題・変更・滅失・区分登記についての内容でした。土地家屋調査士の行う不動産表題部登記と司法書士の行う権利部登記との違いなど初歩的な部分の確認的な説明があり、その後表題登記をすることの意義を始め、身近な建築物(例えば鎌倉の大仏)などを例に挙げてどんな形・用途の物が登記できるのか、などの細部に至る内容につきクイズ形式で和気藹々とした雰囲気の中説明がされました。更に行政書士が相続案件を受任した場合にあり得るような、長年放置されている未登記物件の処理方法についての話もあり、会員から質問が次々に飛び交い、講師達が熱心に実務例を挙げて回答する場面も見受けられました。

後半においては、土地についての表題・更正・分筆・合筆・地目変更等登記及び測量について話が続きました。行政書士にも比較的馴染みのある不動産の登記事項証明書や、やや馴染みの薄い公図や地積測量図について等、法務局関連書類に関する歴史的な経緯を交えた説明がありました。また行政書士が相続等で受任する案件の中で起こり得る土地の分筆の段取りについて、土地の境界の争いがあった場合の解決法についてなどは身近な話題でもあったので前半同様質問が飛び交い、終始賑やかで実務に非常に役立つ研修会となりました。

研修会後は、同会場二楽荘で忘年会がありました。美味しい料理を味わいつつ、鎌倉支部恒例の有志による演芸などが披露され和やかな宴となりました。

(山下 恵)

 

受験の思い出など

定年となりサラリーマン人生を終えるに際し、厚生年金を勤労世代から仕送りとしてただ受け取るだけでなく、多少とも納税して世の中に役立つことはないかと思い、昨年4月に鎌倉支部の一員に加えて頂きました。行政法はかつて大学院での専攻だったということだけで受験を甘く考えていました。しかし、知らぬ間にずいぶんと老化が進行し、また民法や行政法は大幅な改正を経ていたことに後から気づき、行政書士試験は甘くなかった経験でした。

試験と言えば、これまでも簿記、通関士、介護研修などそれぞれの配属先での業務に必要なものはいろいろと受けてきましたが、中でも思い出深いのはUSCPA試験でした。2000年に赴任した当時、米州持株会社は内国歳入庁(IRS)から移転価格税務調査を受けていました。これは、東京の親会社に利益が移転するよう意図的に取引価格を操作することにより、米国法人の所得を低く抑えてその分アメリカでの課税を逃れているのではないかと疑われていたのです。身に覚えのないことで、無茶な言い掛かりでした。この税務調査への対応策について連日のように会計監査人と会議を重ねました。私は財務責任者(CFO)として監査人らと対等に議論し判断することを迫られました。加えて、連邦税のほか州税にも、自社の所得のみならず州外や米国外にあるグループ企業の所得も課税対象として合算する課税方式(unitary tax)があるのでややこしいです。米州持株会社は北米の10以上の州に支店、さらに南米とハワイを含めるとそれ以上の数の子会社を管轄していたので、税務のほか人事やコンプライアンスの問題も含めて各種トラブルの火消しに追われることになりました。

このような経緯からカリフォルニア州でCPA受験したのですが、このときに興味深い光景が見られました。少しご紹介すると、

・試験場は、海岸近くの自宅からFree Wayで1時間ほどの内陸にあるコンベンションセンターです。不正防止目的から私物は持込禁止であるため、受験者の荷物が建物の外にたくさん置かれていました(私は自分の車の中に残してきました)。

・試験時間は,午前と午後に各1科目ずつ、2日間で計4科目を実施します。4時間半の監査論(Audit)が終わると11月の陽はとっぷりと暮れていました。周囲を見ると途中で休憩する人、バナナで栄養補給する人など、それぞれに時間を過ごしていて、日本人との文化の違いが印象的な光景でした。

・見かけはアジア系の受験者も多かったのですが、言葉は中国語や韓国語ばかりが聞こえてきます。日本人を見掛けることはなかったのですが,小学校で「九九」を叩き込まれている日本人なら財務会計(Financial Accounting)の計算問題は暗算でけっこう対処できるものでした。

結局IRSの税務調査の結果はどうなったかというと、タフな交渉の結果我々は400万ドルの追徴課税を受け入れることで妥協せざるを得なくなりました。これについては後日談があり、米国では益金の繰延べ(carry forward)が可能なので,その後数年間、米国同時テロ後の業績悪化による損失によりこの400万ドルは私の在任中に何とか取り戻すことができました。振り返ってみると入社初年度から失敗ばかりのサラリーマン人生でしたが、CPA受験勉強のおかげで数少ないヒットを飛ばすことができました。ビーチサイドのカフェでバッファローウイングをつまみながら同僚と安いワインとコロナビールで祝杯を挙げた日のことが懐かしく思い出されます。

青木 昭夫