カテゴリー: コラム

今回リレーバトンを受けた鎌倉支部の新開 有希美です。

今回リレーバトンを受けた鎌倉支部の新開 有希美です。

令和5年度の試験に合格し、令和6年の4月に行政書士登録をしました。行政書士試験を目指したのは、娘がきっかけです。

私には自閉症と知的障害を併せ持つ10歳の娘がいます。

娘を育てる中で会社勤めは大変となり辞めることにしました。自宅で自分のペースで働けるような環境をつくっていきたいと考えるようになり、資格取得を目指したのが始まりでした。

業務としては相続業務をメインにしています。ここでも私のやりたいことは娘に影響されています。

娘を育てる中で漠然と不安に思うのが「親亡き後」問題です。

知的障害の子をもつ親御さんは遅かれ早かれ直面する問題かなと思います。私はその助けができるように、親亡き後対策や障害のある子をもつご家族の相続業務を中心に行っていきたいと思っております。

まだまだ未熟で勉強中ですが、同じ悩みを持つ方を少しでも手助けできるような仕事をしていきたいと思っております。

どうぞよろしくお願い致します。

新開 有希美

逗子市立図書館主催 高齢者向け講座 終活セミナーへの講師派遣

 

令和6年9月26日(木)午前、逗子市民交流センターにて逗子市立図書館主催の終活セミナーが開催され、当支部の蒲谷渉会員が「自分らしく生きるための終活セミナー もっと知りたい相続と成年後見」というテーマで講師役を務めました。

当支部では、コロナ禍で一時期中断はあったものの、それ以前より講師派遣を続けてきており、今回は65歳以上の逗子市民の方11名が参加しました。

前半では、「相続手続きのイロハを学ぼう!」というテーマで、終活を行うことの意味を問いかけながら、法定相続のルール、相続手続きの流れについての説明があり、後半は、成年後見制度のしくみ、後見人として支援できる仕事に関する話でした。

いずれのパートでも実際に講師が受任・経験した事例の紹介があり、参加者の方には実体験が伝わった様子でした。

質問者の中には、逗子市役所で毎月開催している無料相談会へ過去に参加され、真剣にご自身の終活を継続して検討しているという方がいらっしゃいました。

今回聴覚障がいをもった方が参加されていたことから、逗子図書館の主催者の方より要約筆記スタッフ4名を手配していただき、会場内正面スクリーンに講師の話を瞬時に文字化し写し出す環境を整えていただきました。                                    大変ありがたく思いました。

(荒井 真澄)

令和6年度 第2回支部勉強会

日  時: 令和6年9月13日(金)   17:00~19:00

会  場: 鎌倉生涯学習センターきらら   第7会議室

テーマ: 遺産分割協議にまつわるエトセトラ

講  師: 前田陽子会員、湯前大作会員

参加者: 12名

 

鎌倉支部では、数次相続の場合の遺産分割協議の進め方及び遺産分割協議書の書き方を中心に、当支部の前田会員及び湯前会員が経験された事案の概要及びそれに基づく勉強会を開催しました。

前田会員の事案は、一次相続では数人の相続人がいたものの何の対応もなされないまま数十年が経過し、その間にひとりの相続人には二次相続が発生し、さらにはもうひとりの相続人にも相続が発生するという複雑なケースでした。本件の対応では、相続人間の公平性及び税務を考慮しながら税理士や司法書士を含めていくつかの分割案を検討し、相続人の意向に基づいて一つの案に決定し、各段階の相続に応じた遺産分割協議書を作成しました。また、同協議書の執行の過程では、一部の書類が収集できないことが判明し代替の書類を準備したなどの苦労を経験したとのことでした。

湯前会員からは、2件の事例の説明でした。1件目の事例は、当初は一次相続として相談を受けましたが確認したところ三次相続まであり、また依頼者ご自身の遺言書の作成も受任したという案件でした。2件目の事例は、調査を進めたところ以前の相続の際に相続登記がなされていない多数の不動産(主に山林や原野)の存在が確認され、さらには相続人も十名以上に増えており各位のご意見や利害の調整に注力したという案件でした。

前田会員、湯前会員の事例は、複雑で課題も多くたいへん参考になりました。

勉強会後は、有志で懇親会をもち親睦を深めるよい機会になりました。

(高橋 文雄)

今回リレーコラムのバトンを受けた岩本です。

今回リレーコラムのバトンを受けた岩本です。

支部では相談委員をしています。

少し自己紹介をしてみたいと思います。

 

まずわたしは、もともと肌の色が黒いので、よく沖縄出身でしょ、と言われることがありますがそうではないです。

確かに、小学生の頃は夏休みどれだけ日に焼けたかで競う、く〇ん〇大会で優勝したことがあったり、今年の夏は車に乗って右手を窓に置いていたら日に当たりすぎ、ネパール人より黒いともいわれましたが。

でも私は、静岡県周智郡春野町(現・浜松市)の出身です。

 

春野町には山、川、お茶、しいたけ、さる、しか、いのしし以外なにもありませんが、それでも2人程この町にゆかりのある人がいます。

 

1人は、ミスターKこと片山豊さんで、フェアレディZ 、DATSUN(ダットサン、ダッツン)ブランドの生みの親です。1998年にアメリカ自動車殿堂に殿堂入りした人です。

春野町には、片山さんにちなんで「K’z ROAD」というドライブコースがあります。K’z ROADのオープニングセレモニーが行われたのは片山さんがなんと100歳の時。

 

もう1人は、白井鐵造さんで宝塚歌劇団の演出家、本人作詞の「すみれの花咲く頃」は朝と夕方流れる市のチャイム(防災行政無線)でも使われています。

なんと春野町ではこのチャイムが茶の間にも設置されています。だから、深酒した翌日でも朝7時に強制的に起こされます。名誉町民でもあった白井さんの計らいで中学校の修学旅行は宝塚歌劇団に招待されました。劇鑑賞後は、坊主頭をおねいさま達に撫でられながら写真を撮ったことが思い出です。

 

そんな私が育った春野・浜松は、ホンダ、ヤマハ、スズキをはじめ、自動車関連の会社が多いところでした。

浜松の方言で「やらまいか」という方言があります。英語で言えば、Let’s do itでしょうか。とにかくやってみようというスピリッツです。

この精神が宗一郎をはじめ、この地域の創業者に多い気がします。

片山豊さんは、「浜松市やらまいか大使」でした。

 

高校生になると町を出て東京に行ってみたいと、当時流行ったおニャン子クラブをテレビで見ながらぼんやり考えていました。

ですが、東京に行こうと思ったらたどり着けず、少し手前の横浜で学生生活を送ることになりました。

仕送りはなかったので、学校で見つけた塾のバイトばかりしていた学生時代でした。

そういえば当時はバブルで、レンタル精密機器の梱包のバイトで時給1000円でした。

他にはバイクの中型免許をとって、そのあと二俣川で限定解除してナナハンに乗っていました。

4年生ぐらいの時、湾岸戦争になってガソリンが高くなりました。ググってみたら、それでも当時138円くらいだったみたいですね。

いまは160円後半ぐらいで、安くガソリンを入れたとしても、157円ぐらいが精一杯です。

 

そして、最初の就職先は、いろいろあって、スズキというバイクと軽自動車の会社でした。

入社の面接では、「岩本君、色が黒いね、人間健康が一番」と言われ採用されたのは、当時バブル期だったからだと思います。

入社当時、丁度売り上げが1兆円になり、従業員全員に金一封がありました。これも当時バブル期だったからだと思います。

そんなスズキに約6年ほどいましたが、もう自動車は嫌だと思い、30歳手前で1年間アメリカでとりあえず遊ぶことにしました。

 

日本に戻ってからは、仕事を変えて、2000年前後流行った、ITベンチャー企業に入りました。

まだ会社という感じではなく、出社時間もないかわりに、労働時間も長かったですが、会社でラジコンを走らせて遊べるほど自由な会社でした。

ここは結構長くいたのですが、6人ぐらいでスタートした会社も、100人近くになって面白くなくなり、そして段々会社にいずらくなって、レジリエンス能力の低いわたしは会社を辞めました。

 

そのあとは、また日産自動車やBoschという自動車関連の会社で派遣で働いていました。

日産では、当時パーカタ(パーツカタログ)という部署にいて、海外との連絡係をしていた関係で、出張で日本に来たインド人と居酒屋に行き、焼いたホッケを一緒に手で食べたり、出張で来たガタイのいいフランス人が、初日の歓迎会で飲み過ぎて、頭が痛いと言って病院に連れて行ったことが思い出です。

 

Boschでは、配属先の部署(ホイールスピードセンサー部門・自動運転に必要なパーツ)は、ほとんど外国人で日本人はマイノリティでした。一緒に入った同期は、インド系イギリス人でシーク教徒でした。髪は生まれてから一度も切ったことがなく、お昼はご飯だけ少し食べておしまいという、仙人のようなやつでした。当然、仕事中に抜け出してお祈りをしていました。

そういえば、Boschでは設計部にもいましたが、大きい設計図をトヨタに納品する際は、トヨタ折りというのがあって、トヨタ専用の図面の折り方がありました。トヨタは強いんだなぁと思いました。

 

日産もBoschも外資ということで日本の会社より風通しが良かったです。

日産では、アメリカ人の役員に挨拶に行く機会があったり、一緒にBBQをしたり、Boschでもドイツから上層部が来たりして直接従業員に経営方針を説明・FAQしていました。

 

最後に、開業当時、在留資格や相続・遺言をするつもりでスタートした行政書士の仕事でしたが、最近は車庫証明の仕事をしています。

なぜかまた自動車に関係する仕事をすることになったことに、不思議な感じがしています。

 

おしまい。

岩本 善則

令和6年度鎌倉支部レクリエーションのご報告

7月の三連休初日の13日(土曜日)に令和6年度レクリエーションとして、円覚寺 雲頂菴での写経と古民家レストランでのランチでした。

前日までの雨が上がり蒸し暑さが戻った中、北鎌倉駅臨時改札口前からの長い石段を登ると「大機山 雲頂菴」の山門が深い緑の中から15名の参加者を迎えてくれました。

 

禅寺らしい凛とした清々しい空気の中、住職の殿谷一成師より講話をいただきました。まず、かつて保育園開設に際して当支部広報委員長の櫻井会員とともに苦労された経験から始まり、達磨大師以来の禅宗の流れ、そしてこれから写経を行う般若心経のエッセンスなどの分かり易いお話がありました。

続く写経では、僅か260文字ほどの般若心経とはいえ、慣れない毛筆で雑念を払いながら書き写すのは思ったほど簡単ではありませんでした(しかも漢字は旧字体です)。

 

ランチは雲頂菴から徒歩5分ほどの古民家レストラン「航」へ。レトロな家具や凝ったインテリアが楽しい座敷で鮮魚や鎌倉野菜をたっぷり使った前菜、スープ、メイン、デザートのコースに舌鼓を打ちながらお酒のおかわりも進み、話が弾んだ夏の週末となりました。

(青木昭夫)

令和6年度第1回支部研修会報告

テーマ;初心者のための相続基礎講座

講 師;小林三千世会員

参加者;43名(うち他支部10名)

鎌倉支部では令和6年6月10日に葉山町の「GOOD STOCK」にて研修を開催いたしました。普段の研修は鎌倉市で開催されることが多いのですが、今回は趣向を変えて葉山町での開催。研修会場のGOOD STOCKは某若手歌手のミュージックビデオに登場するなど人気のお店。そんな素敵な場所で開催された初心者向けの研修でしたが、もう一度初心にかえって学ぼうという中堅、ベテランの会員も多数参加しました。

研修は今回のテーマに相応しく、相続人の範囲はどこまでかという基礎の基礎から始まり、具体的な事例を提示しての相続業務の進め方のノウハウまでを非常にわかりやすくかつ巧みに組み立てられたもので2時間ほどの研修時間ではありましたが非常に理解しやすい内容でした。講師の小林会員は自らを「陰キャ」と称していましたが、その言葉を覆すようなウィットに富んだ説明、そしてとても分かりやすいレジュメで楽しく学ぶことができました。

研修会終了後、同店にて懇親会が開催されました(参加者は35名、うち他支部からの参加者8名)。いつも賑やかな鎌倉支部の懇親会ですが今回も鎌倉支部懇親会の名物の余興では玄人はだしのダンスありピアノの演奏ありと非常に盛り上がり、宴席は盛会のうちに終了いたしました。

(栗原要一郎)

私の趣味

 

かなめ行政書士事務所の栗原要一郎です。

そろそろ人生の折り返し地点に来た頃になってアニメーションを観る機会が増えてきました。私はウルトラマンや仮面ライダーなど実写モノの子供向け番組を見て育った世代。アニメーション作品はスーパージェッターやマッハGO GO GOなどがありましたが私が観ていたのは宇宙戦艦ヤマトなどの松本零士先生の作品が主で実写モノに比べてまだまだ鑑賞する本数は少なかったように思います。

 

それが数年前に「新世紀エヴァンゲリオン」をコミック本で読んだことがきっかけでアニメ番組を観るようになりました。エヴァンゲリオンに関しては語り出すと5年くらいかかりそうなので割愛いたしますが、今では様々なアニメ番組を観ています。昔はちょっと敬遠していたアニメのテーマソングやアニメに描かれた場所を訪ねるいわゆる「聖地巡礼」も今では大好きに。

 

これまで印象に残ったアニメといえば、「弱虫ペダル」、「ろんぐらいだあす」、「進撃の巨人」、「ブルージャイアント」、「青のシンフォニー」、「ゆるキャン△」、「平家物語」、「ふしぎの海のナディア」など様々ありますが、最近ハマっているのが「Nier Automata」(ニーアオートマタ)。元々はゲームなのですがそのストーリーをアニメに落とし込んだ作品です。現在放映中なのですがなかなか考えさせられることが多い作品だと思っています。最近のアニメーション番組はストーリーや世界観がしっかりしている作品が多いと感じていますが、子供の頃はそのような作品の意図が見えなかっただけなのかも知れませんね。

 

思ってもみなかったアニメとの出会い。人生は思いがけない出会いの連続ですね。行政書士の仕事も時に自分にあまりご縁のなかった業務の依頼があります。これも業務が多岐に渡る行政書士の仕事の特徴かと。思いがけない仕事の出会いもまた人生に似ているなと感じる今日この頃です。

栗原要一郎

令和6年度 鎌倉支部定時総会・政治連盟定時大会開催

令和6年5月17日、鎌倉市大船の鎌倉芸術館にて、鎌倉支部定時総会と、政治連盟鎌倉支部定時大会が開催されました。

 

昨年以上にリアルでの出席が増え、コロナ禍以前の日常が戻ってきているようです。多くの会員で、鎌倉芸術館の会議室もほぼ満席になりました。

 

総会は15時より開始されました。司会を中野有香会員が務め、定時総会が定足数を満たしているので有効に成立している旨の報告がされました。司会者が議長に遠峰俊一郎会員を指名し、満場一致で選任されました。議案にはコロナ禍で急速に広まった、WEB会議システムや書面の電磁的記録の利用を実施できるようにするための支部規則の改正も盛り込まれていましたが、スムーズな議事進行により全ての議案が可決承認されました。

今年度は町田支部長2年目となりますが、新規の入会者や他支部からの転入者も増え、鎌倉支部の隆盛を感じさせる会となりました。

 

引き続き16時より政治連盟鎌倉支部定時大会が行われました。司会は荒井真澄会員が務め、定時大会も定足数を満たし有効に成立している旨の報告がされました。司会者が議長に遠峰俊一郎会員を指名し、満場一致で承認されました。そして、すべての議案が可決承認され、定時大会も無事閉会しました。

 

その後行われた懇親会にも多くの会員が参加し、特にまだ進むべき道が見つからない新入会員は経験豊富な先輩のアドバイスに熱心に耳を傾けていました。

今年一年も様々な研修会やイベントが予定されていますので、会員同士の交流を深め、町田支部長の目指す「任せてよかった・なってよかった行政書士」を体現していきたいところです。

(小池康多郎)

 

 

みんなの眼(まなこ) ~ある認知症カフェのお話~

副支部長の荒井真澄です。女性支部役員が多い中で数少ない男性です。

 

毎月第四火曜日の午後に、「東逗子オレンジカフェ『あつま~る』」という認知症カフェのお手伝いをしています。会場は逗子市内の県営桜山ハイツ集会所が基本ですが、季節によっては、屋外の東逗子駅前ふれあい広場のこともあります。毎回20~30名の方に参加いただいています。

 

そこでの私の役割は、歌のピアノ伴奏です。ギター2本も加わって、毎回童謡や昭和歌謡の名曲を10曲近く歌っていただいています。

 

この歌のプログラムの魅力は、リーダー長谷川静さんの選曲の視点とトークです。単に参加者の方々が好きな歌を勝手に歌うというスタイルではなく、その季節、月、行事にちなんだ歌や逗子になじみのある曲、作詞作曲家などをあらかじめ選び、本番の会場では、絶妙な語りで歌をつなぎ、プログラムを進行していきます。長谷川さんが提供する話題をきっかけに昔話を始める方や、歌の題名を告げた途端にピアノ伴奏開始前から口ずさんでしまう方など様々な反応があって、とても和やかな雰囲気になります。60年近くピアノを弾き続けていますが、みなさんが声をそろえて楽しく歌っていただけることに、音楽で心つながるささやかな喜びを感じています。

 

ギター譜面をもとにピアノでメロディーと伴奏を付けるので、練習準備段階で、ある程度アレンジをして、歌いやすいようにキーを調整する必要もあり、この部分に多少エネルギーがかかります。時に、ラストを恰好よく盛り上げて曲を締めくくったつもりだったところが、繰り返しやもう1コーラスが残っていて、あわてて追っかけて伴奏を続けるなど思わぬハプニングもあったりしますが、心広く許していただいているという感じでしょうか。

 

カフェの運営には、リーダーの長谷川静さんを中心に、喫茶、会場設営のボランティアの皆さん、逗子市役所の保健師さん、逗子市社会福祉協議会、東部地域包括支援センター等の専門スタッフの方が支援してくださり、個別相談も受けつけています。健康管理講話、口腔体操、認知症予防体操(コグニサイズ)、ラジオ体操などの定例プログラムに加え、紙芝居、フラダンス、合唱、和太鼓など出演者による企画は盛りだくさんで、運営スタッフが毎回知恵を絞っています。

 

大切だと思うことは、このような数多くの方が少しずつながらも毎月継続的に参加者の皆さんと関わっているということです。いろいろな方の複数の「みんなの眼(まなこ)」によって、「最近あの方お見えにならないね」など参加者やスタッフの中でお互いをごく自然に気遣い、余計なお世話にならない適度な距離感でその心配を解いていける心地よい人間関係につながっているように思うのです。

 

行政書士として終活のご相談をお受けすることが多いのですが、必要となる法的な支援の話ばかりではなく、周囲との関わりを持つことの大切さについても話が及ぶことがあります。「あつま~る」のネットワークを通じて、私も「みんなの眼(まなこ)」の一人であり続けたいと思っています。

(荒井 真澄)

 

まさかの「合格証」

支部の会計幹事を担当しております星原です。

リレーコラムのバトンを受けましたので、悩みましたが行政書士試験に合格したときのことと、それまでの経緯でもお話してみようかと思います。

若かりし頃、私は銀行に勤めていまして、主に渉外畑を歩いていたのですが、転機が来たのは30代半ばの頃です。転勤と同時に業務課長(預金・総務担当)を命ずるという人事発令によって、まったく畑違い業務の責任者となってしまい、そこからが大変でした。

新任店は業歴の長い駅前立地店舗で、お取引先も来店されるお客数も多く、私は慣れない業務でてんてこ舞い、特に苦慮したのが、相続に関する相談とそれに伴う事務処理でした。

金融機関は預金者の死亡を検知しますと、即時に預金凍結をしますが、これが相続人との揉め事カウントダウンの開始です。相続預金に関する苦情は枚挙にいとまがありません。

名義変更、払い出し、解約手続きについての説明を大体のお客様は理解されるのですが、中には「私が相続人だ。現に通帳も印鑑も持参した。私が言うのだから間違いない。早急に対応せよ!」と主張される方も少なくないのです。一方的な罵声を浴びながらの折衝は数えきれないほど経験しました。

そういった苦い経験、苦情を避けたいとの一心で、相続に関しての知識の幅を広げようと様々な勉強をした(せざるを得なかった)ものでした。

その後は早期退職制度を選択し銀行から転職したのですが、退職後を考える年齢に達した頃に、行政書士ならば私の経験を活かせるかもしれないと考え試験勉強を始めました。

平成26年度の試験を受けたのですが、結果は「微妙だなぁ」でした。そうして自己採点をしたところ残念ながら一問(4点)基準点に達していませんでした。絶対評価の試験ですから絶望です。そういう事から1月に合否通知書が届いても開けてもみずに、来年は多分、大丈夫だろうと試験終了直後から勉強は再開しておりました。

ところがです。合格証が届いたのです。そりゃもうびっくりでした。

何故か?その年度は、補正措置が行なわれて、合格基準点180点が166点に下げられたとのことでした。新試験移行後の異例的な初めての補正措置という、珍しい嬉しい経験を経て私は行政書士の資格をいただきました。

万々歳です。

そういう私も先日、逗子市役所で相談員としてデビューさせていただきました。緊張しましたが、どうにかお話を伺うことができホッとしながらこの文章を書いております。

今後も、様々な状況により、困っておられる方のお話を伺う機会が増えていくことになると思いますが、そういう方々に、より一層寄り添えるように、知恵と知識を深める努力をしていきたいと思っております。

どうぞよろしくお願いします。

星原 進