受験の思い出など

受験の思い出など

定年となりサラリーマン人生を終えるに際し、厚生年金を勤労世代から仕送りとしてただ受け取るだけでなく、多少とも納税して世の中に役立つことはないかと思い、昨年4月に鎌倉支部の一員に加えて頂きました。行政法はかつて大学院での専攻だったということだけで受験を甘く考えていました。しかし、知らぬ間にずいぶんと老化が進行し、また民法や行政法は大幅な改正を経ていたことに後から気づき、行政書士試験は甘くなかった経験でした。

試験と言えば、これまでも簿記、通関士、介護研修などそれぞれの配属先での業務に必要なものはいろいろと受けてきましたが、中でも思い出深いのはUSCPA試験でした。2000年に赴任した当時、米州持株会社は内国歳入庁(IRS)から移転価格税務調査を受けていました。これは、東京の親会社に利益が移転するよう意図的に取引価格を操作することにより、米国法人の所得を低く抑えてその分アメリカでの課税を逃れているのではないかと疑われていたのです。身に覚えのないことで、無茶な言い掛かりでした。この税務調査への対応策について連日のように会計監査人と会議を重ねました。私は財務責任者(CFO)として監査人らと対等に議論し判断することを迫られました。加えて、連邦税のほか州税にも、自社の所得のみならず州外や米国外にあるグループ企業の所得も課税対象として合算する課税方式(unitary tax)があるのでややこしいです。米州持株会社は北米の10以上の州に支店、さらに南米とハワイを含めるとそれ以上の数の子会社を管轄していたので、税務のほか人事やコンプライアンスの問題も含めて各種トラブルの火消しに追われることになりました。

このような経緯からカリフォルニア州でCPA受験したのですが、このときに興味深い光景が見られました。少しご紹介すると、

・試験場は、海岸近くの自宅からFree Wayで1時間ほどの内陸にあるコンベンションセンターです。不正防止目的から私物は持込禁止であるため、受験者の荷物が建物の外にたくさん置かれていました(私は自分の車の中に残してきました)。

・試験時間は,午前と午後に各1科目ずつ、2日間で計4科目を実施します。4時間半の監査論(Audit)が終わると11月の陽はとっぷりと暮れていました。周囲を見ると途中で休憩する人、バナナで栄養補給する人など、それぞれに時間を過ごしていて、日本人との文化の違いが印象的な光景でした。

・見かけはアジア系の受験者も多かったのですが、言葉は中国語や韓国語ばかりが聞こえてきます。日本人を見掛けることはなかったのですが,小学校で「九九」を叩き込まれている日本人なら財務会計(Financial Accounting)の計算問題は暗算でけっこう対処できるものでした。

結局IRSの税務調査の結果はどうなったかというと、タフな交渉の結果我々は400万ドルの追徴課税を受け入れることで妥協せざるを得なくなりました。これについては後日談があり、米国では益金の繰延べ(carry forward)が可能なので,その後数年間、米国同時テロ後の業績悪化による損失によりこの400万ドルは私の在任中に何とか取り戻すことができました。振り返ってみると入社初年度から失敗ばかりのサラリーマン人生でしたが、CPA受験勉強のおかげで数少ないヒットを飛ばすことができました。ビーチサイドのカフェでバッファローウイングをつまみながら同僚と安いワインとコロナビールで祝杯を挙げた日のことが懐かしく思い出されます。

青木 昭夫