今回リレーコラムのバトンを受けた岩本です。

今回リレーコラムのバトンを受けた岩本です。

今回リレーコラムのバトンを受けた岩本です。

支部では相談委員をしています。

少し自己紹介をしてみたいと思います。

 

まずわたしは、もともと肌の色が黒いので、よく沖縄出身でしょ、と言われることがありますがそうではないです。

確かに、小学生の頃は夏休みどれだけ日に焼けたかで競う、く〇ん〇大会で優勝したことがあったり、今年の夏は車に乗って右手を窓に置いていたら日に当たりすぎ、ネパール人より黒いともいわれましたが。

でも私は、静岡県周智郡春野町(現・浜松市)の出身です。

 

春野町には山、川、お茶、しいたけ、さる、しか、いのしし以外なにもありませんが、それでも2人程この町にゆかりのある人がいます。

 

1人は、ミスターKこと片山豊さんで、フェアレディZ 、DATSUN(ダットサン、ダッツン)ブランドの生みの親です。1998年にアメリカ自動車殿堂に殿堂入りした人です。

春野町には、片山さんにちなんで「K’z ROAD」というドライブコースがあります。K’z ROADのオープニングセレモニーが行われたのは片山さんがなんと100歳の時。

 

もう1人は、白井鐵造さんで宝塚歌劇団の演出家、本人作詞の「すみれの花咲く頃」は朝と夕方流れる市のチャイム(防災行政無線)でも使われています。

なんと春野町ではこのチャイムが茶の間にも設置されています。だから、深酒した翌日でも朝7時に強制的に起こされます。名誉町民でもあった白井さんの計らいで中学校の修学旅行は宝塚歌劇団に招待されました。劇鑑賞後は、坊主頭をおねいさま達に撫でられながら写真を撮ったことが思い出です。

 

そんな私が育った春野・浜松は、ホンダ、ヤマハ、スズキをはじめ、自動車関連の会社が多いところでした。

浜松の方言で「やらまいか」という方言があります。英語で言えば、Let’s do itでしょうか。とにかくやってみようというスピリッツです。

この精神が宗一郎をはじめ、この地域の創業者に多い気がします。

片山豊さんは、「浜松市やらまいか大使」でした。

 

高校生になると町を出て東京に行ってみたいと、当時流行ったおニャン子クラブをテレビで見ながらぼんやり考えていました。

ですが、東京に行こうと思ったらたどり着けず、少し手前の横浜で学生生活を送ることになりました。

仕送りはなかったので、学校で見つけた塾のバイトばかりしていた学生時代でした。

そういえば当時はバブルで、レンタル精密機器の梱包のバイトで時給1000円でした。

他にはバイクの中型免許をとって、そのあと二俣川で限定解除してナナハンに乗っていました。

4年生ぐらいの時、湾岸戦争になってガソリンが高くなりました。ググってみたら、それでも当時138円くらいだったみたいですね。

いまは160円後半ぐらいで、安くガソリンを入れたとしても、157円ぐらいが精一杯です。

 

そして、最初の就職先は、いろいろあって、スズキというバイクと軽自動車の会社でした。

入社の面接では、「岩本君、色が黒いね、人間健康が一番」と言われ採用されたのは、当時バブル期だったからだと思います。

入社当時、丁度売り上げが1兆円になり、従業員全員に金一封がありました。これも当時バブル期だったからだと思います。

そんなスズキに約6年ほどいましたが、もう自動車は嫌だと思い、30歳手前で1年間アメリカでとりあえず遊ぶことにしました。

 

日本に戻ってからは、仕事を変えて、2000年前後流行った、ITベンチャー企業に入りました。

まだ会社という感じではなく、出社時間もないかわりに、労働時間も長かったですが、会社でラジコンを走らせて遊べるほど自由な会社でした。

ここは結構長くいたのですが、6人ぐらいでスタートした会社も、100人近くになって面白くなくなり、そして段々会社にいずらくなって、レジリエンス能力の低いわたしは会社を辞めました。

 

そのあとは、また日産自動車やBoschという自動車関連の会社で派遣で働いていました。

日産では、当時パーカタ(パーツカタログ)という部署にいて、海外との連絡係をしていた関係で、出張で日本に来たインド人と居酒屋に行き、焼いたホッケを一緒に手で食べたり、出張で来たガタイのいいフランス人が、初日の歓迎会で飲み過ぎて、頭が痛いと言って病院に連れて行ったことが思い出です。

 

Boschでは、配属先の部署(ホイールスピードセンサー部門・自動運転に必要なパーツ)は、ほとんど外国人で日本人はマイノリティでした。一緒に入った同期は、インド系イギリス人でシーク教徒でした。髪は生まれてから一度も切ったことがなく、お昼はご飯だけ少し食べておしまいという、仙人のようなやつでした。当然、仕事中に抜け出してお祈りをしていました。

そういえば、Boschでは設計部にもいましたが、大きい設計図をトヨタに納品する際は、トヨタ折りというのがあって、トヨタ専用の図面の折り方がありました。トヨタは強いんだなぁと思いました。

 

日産もBoschも外資ということで日本の会社より風通しが良かったです。

日産では、アメリカ人の役員に挨拶に行く機会があったり、一緒にBBQをしたり、Boschでもドイツから上層部が来たりして直接従業員に経営方針を説明・FAQしていました。

 

最後に、開業当時、在留資格や相続・遺言をするつもりでスタートした行政書士の仕事でしたが、最近は車庫証明の仕事をしています。

なぜかまた自動車に関係する仕事をすることになったことに、不思議な感じがしています。

 

おしまい。

岩本 善則